2023年3月の記事一覧
令和4年度修業式(講話) 「人は何のために生きるのか」 ~内村鑑三の言葉を手がかりに~
まずは進級おめでとうございます。それぞれ学年が1つ上がり,四月には新入生を迎え,上級生としての自覚をしっかりと持ちながら,加美農をさらに盛り上げていってほしいと思います。
さて皆さんは,「何のために勉強するの?」と問われたとしたら何と答えるでしょう。勉強の目的はそれぞれだと思いますが,「なぜ勉強するのか」という問いは,「なぜ生きるのか」という問題にもつながる根源的な問いです。人はなぜ生きるのか? 私もそう考えて悩んだことも何度もあります。こせば十代の頃,進路のことや家のことなど数々悩みを抱えていました。その時に考えたのは「今は悩みがあるかもしれないけれども,それは考えが未熟だからであって,大人になればきっと悩みもなくなるはずだ」という漠然たる期待を抱いていたのを覚えています。(その悩みが,生きている間つづくのだと悟った時の衝撃も…)
人は必ず何事かに悩みます。それを一言に集約することは難しいですが,どんな種類の悩みも究極的には,「なぜ人は生まれ,生きるのか?」との“生存の不安”に行き着くのではないでしょうか。これは人が必ず突き当たる永遠の問いなのです。それもそのはずで,この世に生を受けたどんな人であろうとも,自らの意志によって生まれてきた人はいないのです。生命誕生の神秘は奇跡的ではありますが,一方で,それは受け身なのだとも言えるのです。オギャーと叫んだ瞬間から,自分の言葉で人生を意味づけしていく「長い旅」が始まるのだとも言えるのです。
ふり返って高校時代に,忘れられない書物との出会いがありました。明治の時代,内村鑑三というキリスト教者にして魅力的な思想家の『後世への最大遺物』という一冊です。これは明治二七年夏,内村鑑三がキリスト教青年学校の学生に対して行った講演録で,口語体の読みやすい語りです。
〈人はいったい何のために生まれて,どのように生きるのが正しいのか?〉,そんな漠たる煩悶を抱えていた私に,内村鑑三は明瞭に,かつ力強くその意義を開示してくれました。今日は,その内村鑑三という人物が残した言葉を手がかりに,人生の意義について少し考えてみたいと思います。
幕末生まれの内村鑑三は高崎藩士の長男で,キリスト教入信のきっかけとなったのは札幌農学校への入学でした。その家族の死や病,失業,仲間や社会からの批判など,数々の苦難を乗り越えてきた鑑三は「人生の意義」を次のように説きます。
《私は何かこの地球にMemento(モメント) を置いて逝きたい,私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい,私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は,われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども,しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは,少しなりともこの世の中を善くして往きたいです。この世の中にわれわれの Memento を遺して逝きたいです。》
明治27年といえば,日本が近代国家として最初の対外戦争となった日清戦争が起こった年です。内村鑑三は,その高揚と不安の時代を生きる青年たちに対し,ゆるぎない言葉で語りかけました。生きることを自己完結的にとらえていた私には最初はピンときませんでしたが,よくよく考えれば,たしかに私の「生」は自ら意志した結果ではなく親から受け継いだ命であり,それを「後世」という次の世代への縦軸の橋渡しでもあるのだ。さらに「地球」という横軸の発想(近年,SDG‘sという地球規模の視点があたり前に浸透していますが)が大きく視野を広げてくれました。
さらに,人が後世に遺せる遺物(レガシー)には,お金や事業そして思想(文学や教育)などがあるが,これらは誰にでも残せる訳ではない。そして,誰にでも残すことができる最大にして最高の遺物=〈人生の最高価値〉が何なのかを説きます。
《それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる,ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で,利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。》
《しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと,(中略)失望の世の中にあらずして,希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして,歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して,その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。》と説き,「他の人の行くことを嫌うところへ行け 他の人の嫌がることをなせ」といった格言とともに,歴史人物のエピソードを紹介します。
もちろん,これらの言葉はキリスト教信仰に深く根ざしています。私自身はキリスト教者でもなく,ごく一般の世俗的な高校生でしたが,そんな私にとっても,
《後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも,あの人はこの世の中に生きているあいだは,真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したい。》 という
独自の信仰世界を開いた思想家・内村鑑三の純粋なゆるぎない言葉は,“生きる意味”の何かを開示してくれた書物となったのでした。
皆さんには今日の話をひとつのヒントに,自分自身の言葉で「なぜ生きるのか」についての答えを自ら紡ぎ出し,これからの長い人生の旅に立ち向かっていってもらいたいと心から願い,修業式にあたっての講話と致します。
【参考文献】
内村鑑三 『後世への最大遺物・デンマルク国の話』(岩波文庫)
若松英輔 『内村鑑三をよむ』(岩波ブックレット №845)
令和4年度卒業式 式 辞
今年の冬は例年に比して雪の少ない冬とはいえ,心身を凍てつく厳しい寒さも,ようやく和らいだかに感じられる季節となりました。ここ色麻にも日を追うごとに春の芽吹きを感じる弥生の節目を迎え,はるか船形の残雪や,校地の木々にも確実に春光の柔らかな日差しが差し込んでくるのが実感されます。このような佳き日に,これまで地域で見守り寄り添ってくださった多数のご来賓の皆様,並びに本校教育活動にご支援をいただいた保護者の皆様方が一堂に会し,令和4年度卒業式をかくも盛大に挙行できますことは,卒業生はもとより在校生,教職員にとりましてもこの上ない慶びでございます。
ただ今,高等学校三カ年の課程を修了し,卒業証書を授与しました農業科22名,農業機械科29名,生活技術科16名の卒業生の皆さん,ご卒業おめでとう。教職員一同,卒業生の門出を心より祝福いたします。とともに,本日 手にした卒業証書は,校訓「耕心」のもと,本校の全教育課程を修めた証しであります。それは自身の努力もさる ことながら,すぐそばで支え励ましてくれた仲間,恩師,ご家族,地域の皆様方の深い愛情と温かい支えによってもたらされた共同の結晶でもあります。その達成と感謝を胸に刻みつつ,一生涯の誇りとして忘れずにいてください。
3年前の入学式,大きな期待と不安に胸を膨らませてはじまった加美農での生活も今日で最後となります。今,皆 さんが高校生活を振り返ったとき,それは何色の思い出として映るのでしょう。皆さんの脳裏に去来する思い出には,実に多くの色があったろうと推察します。本校の自然豊かな農場での部門実習や,耕心寮での入寮生活,先輩や後輩との居室生活など,普通高校では決して味わうことのできない教育体験を積み重ねてきました。そこでは,自然生命の尊さと愛おしさはもとより,寮生活の規律の中で仲間たちと生活をする喜びなど,学校教育の基本となる共同的な価値を体得してきたものと思います。自然に抱かれ,仲間に支えられ,地域に見守られている,そのことを実感することができたのは,本校創立以来の伝統の力であり,それを正統に受け継いだ加美農生の皆さんの頑張りの賜物であることに違いありません。
今年度の出来事で特筆すべきは,中断していた学校行事が再開されたことです。5月全校田植え,10月加美農祭一般公開,収穫感謝の会。そして11月には韓国水原農生命科学高校との親善交流がリモートで再開にこぎつけることができました。
また,農業クラブや家庭クラブの成果と致しましては,まず農業クラブ各種大会での活躍が挙げられます。高い技能が求められる平板測量競技会では県大会二連覇を達成し,全国大会出場を果たし,見事,優秀賞に輝きました。家庭クラブ活動も,長年の交通安全啓発に対し加美警察署から感謝状が贈呈され,先の宮城県高校生地産地消お弁当コンテストにおいては,大崎耕土にちなんだ本校考案メニューが,優秀賞及びWEB投票特別賞に選出され,イオン系列で一般販売されたことがマスコミでも取り上げられました。さらには,5年に一度の大会で全国和牛共進会予選会への出場,年明けには念願であった「ASIAGAP」の認証という吉報を受けました。これは県内では2校目,穀物部門では県内初となります。
こうした本校の取組に対し,今年度キャリア教育優良校として文部科学大臣表彰の栄誉を受けることができました。受賞の理由となったのは,本校の実践が地域協働において《継続》して行われたこと,その上で《高校生の力》が存分に発揮されたことが大きく評価されました。改めて,本校生のひたむきな姿勢に敬意を表したいと思います。
さて,予期せぬ災厄が出現して,はや3年の月日が流れました。皆さんの高校生活は,この未知のウィルス拡大の時期と重なり,学校生活や寮生活がこれまでにないほどの制約を受けました。このような桎梏からいつになれば解放されるのか。先の見えないもどかしい葛藤が,全国,全世界の人々の声なき声としてありました。そうした日常に,変化の兆しが少し見え始めてきている昨今ではありますが,こうした不条理が,人生の場面において不意に出現することは,人知を超えて今後もあり得るのです。だからこそ,人々は立場を越えて団結し,人類史上記憶されるこの苦境の意味を忘れずにいなければなりません。人類はこうした不測の経験をバネに,共通の価値を創造し,困難を乗り越えてきたのです。これから私たちはどんな未来を築いていくのか。それこそが世界の課題であり,次代を担う皆さんに課せられた使命でもあります。皆さんの果敢な勇気と行動力によって,この不透明な逆境を打開し,人々の心に希望の火を灯していくこと。そのことを切に願ってやみません。
今皆さんの手には,自身の人生を何色にも染めうる自由意思が与えられています。義務教育九年,高等学校三年の学習を土台に,自らの人生に思い思いの色を描いていってほしいと思います。
遠く未来を見渡せば,情報技術革新がさらに進展し,人口知能が社会の先端を行こうとも,それは生活の利便性となっても,生存の安寧はもたらさないことを,私たちは本能的に理解しています。なぜなら,人間の命は,食べ物や自然環境という基本要件を抜きにつなぐことは不可能だからです。これからも,農業が人間生活の根幹を支える営みであることに変わりはありません。近い将来,世界規模で,農業を中心とした政策転換がなされる日がやってくるかもしれません。その時こそ,農業への見識を有する皆さんの真の出番なのです。
高等学校での学習は本日でひと区切りとなりますが,それは学びの完結ではありません。皆さんはそれぞれの道において,新たな課題と向き合い,社会というより広いフィールドにおいて,生涯にわたって学び深めていくことになります。それは自己実現を果たすという目的だけではなく,よりよい世界,すなわち“平和”を希求する共通の願いに連なるのだ,と私は信じています。
昨今,人生100年時代が叫ばれています。だとすれば,高校三年の皆さんは今後約80年のというスパンで,この世を生きます。100年という時間を一日の時間時計に置き換えてみると,18歳はおおよそ午前4時半にあたります。すなわち,日が昇る前のまだ薄暗い,夜明けの前に皆さんは立っているのです。これからが夜明けであり,本当の自分の旅がはじまるのです。
そんな皆さんに,最後のメッセージです。それは,「物事の本質をつかむ」という姿勢です。難しいことではありません。古今東西の常として,私たち世俗には,時に虚偽がまかり通ることがあります。そうした時こそ,大地とともに学習を積み重ねてきた見識がものを言うのです。自然はまっすぐに人の心を映し出します。そのことを体感している加美農生だからこそ,混沌とした世の中にあって,謙虚に物事の本質を見極める人材として羽ばたいてもらいたいし,そこでこそ本校で修めた学習価値が輝くのです。
これからの行く手にどんなに荒波が待ち受けようとも,校訓であり寮是にも掲げる「耕心」の精神,「よく土を耕そうと志す者はまず心を耕さなければならない」という志を実践し,自分たちの未来地図を,力強く,そしてしなやかに彩っていくことを願ってやみません。