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校長通信「耕心だより」

令和5年度 入学式式辞

 ただいま,入学を許可いたしました農業科20名,農業機械科18名,生活技術科8名の新入生の皆さん,入学おめでとうございます。皆さんは高校入試の関門を突破し,本校入学の日を待ち望んでいたものと思います。新たなステージとなる高等学校が今日スタートします。本校には耕心寮という素晴らしい寮教育もあります。自己を高める教室・農場とともに,共同生活の場である寮があり,本校は三つの教育機能を有しています。志を同じくする仲間とともに,学習や行事を通してこれからの未来を力強くしなやかに描いていってほしいと願います。教職員・在校生一同,新入生一人一人を心から歓迎するとともに,加美農生として共に学べる喜びを実感しているところでございます。

 さて,加美農業高等学校は,明治33年の開校以来,今年で123年の歴史を刻んで参りました。長い歴史と伝統を誇る本校は,農業のスペシャリスト育成を担うため,地域の皆様からの期待に応えるべく日々進化していくことを使命としております。その使命を実現するために,自身の心を耕すという意味で,『耕心』という言葉が校訓となっています。土を耕すのと同じように心を耕す。本校はこの校訓のもと,地域を支える有力な人材の育成を目指しております。これまで実に多くの卒業生が,地元はもとより,県内外,各方面で活躍されております。また本校の長年の取組に対して昨年度,キャリア教育優良校として文部科学大臣表彰を受けました。これは特に,地域連携,異校種間連携による農業教育の充実と郷土愛の醸成,産学官連携によるブランド米の創出など学校の枠を超えた取組を行っていることへの評価でした。新入生の皆さんも,今日から加美農業高校の一員として常に高い志を持ち,多くの先輩方と同じように,社会の中枢で活躍できる有能な人材として未来に羽ばたいていくことを期待しています。

 ここで,これからの本校を担う新入生の皆さんに,メッセージを二つ贈りたいと思います。

 一つは,「〈生命〉の尊重」ということです。

 加美農では,他校にはないこの広大なる自然の中で,生きとし生けるものすべての生命を慈しみ,尊重する学習が日々展開されています。農業教育の根本は命に向き合う学習です。自然や生き物の命を慈しみ,ひたむきに生きている人がもっとも尊いのです。自然の中で,教室の中で,寮の中で,自然や生き物そして何よりも自分自身との対話を通して,ゆるぎない自己を確立していってください。本校での学びは,必ずや皆さんの夢の実現のための礎となるものと確信しております。

 そしてもう一つは「〈自己限定〉を打ち破る」ということです。

 高校生活において心がけてほしいこと,それは「私はここまでだ」とか「どうせ自分は」いった自己限界を取り払い,自身の無限の可能性を信じて掘り下げていく粘り強い精神を持っていてほしいのです。それが高校生に与えられた特別な権利=青春の特権なのです。

 これまでの3年,未知のウィルスの出現は世界の日常を一変しました。皆さんの中学校生活も思い描いたようにはいかないことも数々あったろうと思われます。そうした中にあっても,人間の生命力と回復力は無尽蔵なのです。人類は逆境を乗り越える復元力を備えているからこそ,幾多の苦難を乗り越え,今日まで営々と生活を築いています。それゆえ,皆さんにとっての高校入学は新たな誕生=《再生》ともいえるのです。恐れることなく,新しい自分探しの旅に出てほしいと思います。

 さて,農業には人と人,あるいは人と土地を繋ぐ,〈関係を育む力〉を有していると言われます。農業とは人間の命の営みを支える分野であるとともに,人と人の心をつなぎつき動かすダイナミズムをも有しています。だからこそ,農業を通じて人と人がつながり,農業の分野から世界の本質が見えてくるのです。これからの未来に豊かな実りが実現できるように,私たちは繰り返し希望の種を蒔き,大地に根ざす力を尊び,堂々と理想の志を掲げ続けていかなければなりません。そのためにも,本校校訓「耕心」が示す,よく土を耕そうと志す者はまず心を耕さねばならないという学びの本質を,本校の広大な自然環境の中で実現していくことを心から願って止みません。

 最後になりますが,保護者の皆様に一言お祝いを申し上げます。改めましてお子様のご入学おめでとうございます。これまで大切に育ててこられたお子さまが生き生きと,実りある高校生活が送れるよう,教職員一同,誠心誠意尽くしていく所存でございます。学校とご家庭が同じ目線。同じ願いを持ちながら,一人一人の成長を促していけますよう,ご協力のほどお願い申し上げます。

 最後になりますが,ご来賓の皆様並びにご参列の皆様に,今後とも本校の教育活動に対しまして,なお一層のご理解とご支援を賜りますよう重ねてお願いを申し上げまして,式辞といたします。

令和5年度 始業式あいさつ

 先ほど新任式にて,17名の新転任の先生方を紹介いたしました。

 また本日午後には,46名の新入生が入学してきます。新入生は高校生活への大きな期待と同時に不安も抱えているはずです。先輩である皆さん一人一人の溌剌とした姿が,本校生のお手本になります。後輩を導くよき先輩として後輩を暖かく迎え入れてほしいと思います。 そして私自身,加美農でのこの1年の間で多くことを教えられ感動ももらいました。また皆さんの真剣な取り組みを目の当たりにしてきました。今年度新たにお迎えした先生方とともに,加美農の新たな歴史を築いていってほしいです。

 始業式にあたり,私から皆さんへ2つのメッセージを伝えます。

 1つは,新年度からマスクの着用も含めて,新型コロナウィルスへの対応は大きく変化しました。学校では,引き続き感染対策はしながら,マスク着用については原則的に任意とするものの,引き続き周囲への思いやりのある行動をお願いします。特に,学校行事・寮行事についてはフルに戻し推進します。そのためにも,皆さん一人一人の日頃の頑張りが必要です。準備も含めてやるのは皆さん自身です。なぜなら,学校行事は本来生徒のものだからです。失敗を恐れず,仲間と協力し,2倍の努力,1人2役3役で,果敢にチャレンジしてください。成長し変化し続ける皆さんに期待しています。

 2つめは,本校と韓国の繋がりについてです。

 韓国水原市にある,水原農生命科学高校は本校の姉妹校で,30年以上にわたり交流を深めてきました。2年ほどコロナで途絶えましたが,昨年度リモートによる交流再開を果たしました。今年度秋には韓国から高校生が来校し,様々な学習・文化の親善交流を行う予定となっています。ぜひ楽しみにしてほしいのと,できるならば,韓国語を習得したり韓国の歴史文化(もちろん,日本についても伝えられるように)予習をしたり,個々人で勉強をしていてほしいのです。近くて遠い見知らぬ国ではなく,同じアジアの隣国として,相互理解を深めお互いに平和を築いていくことが重要です。

 1つのエピソードをご紹介します。

 本校バイオ棟前に,1本の梅の木が植えられています。物語は,今から400年以上前の豊臣秀吉の時代,仙台藩伊達政宗も3千の兵を朝鮮に出兵するという歴史がありました。朝鮮出兵です。政宗はその際に梅の木を持ち帰ったとされ,それを松島瑞巌寺の境内などに植えたといいます。その姿が「臥せた龍」に似ているところから「臥龍梅」と名づけられた紅白対の見事な梅の木があります。

 かつて,韓国からの高校生が瑞巌寺を訪れた際に,「この梅の木をぜひ里帰りさせたい」と熱望したそうです。その思いに応えようと,加美農生は本校バイオ部門での知識を活用して,許可を得て瑞巌寺の梅を接ぎ木をし,生長点から多くの苗を育てたそうです。それを翌年,加美農生訪問団が韓国の高校へ持って行き,その苗が校庭に植えられたと聞いています。接ぎ木した記念の苗が,両校の親善友好の証として今も大切に育てられているのです。今から30年も前のお話です。

 あらためて本校校訓「耕心」の原点に立ち返り,土を耕すように,自らの心を耕していくことそれは皆さんの一生の財産となるはずです。人の2倍の努力,1人2役以上で令和5年度加美農の主役となり,学習,実習,部活動,寮生活,農業クラブ・家庭クラブを盛り上げていってほしいと思います。

令和4年度修業式(講話) 「人は何のために生きるのか」 ~内村鑑三の言葉を手がかりに~

 まずは進級おめでとうございます。それぞれ学年が1つ上がり,四月には新入生を迎え,上級生としての自覚をしっかりと持ちながら,加美農をさらに盛り上げていってほしいと思います。

 さて皆さんは,「何のために勉強するの?」と問われたとしたら何と答えるでしょう。勉強の目的はそれぞれだと思いますが,「なぜ勉強するのか」という問いは,「なぜ生きるのか」という問題にもつながる根源的な問いです。人はなぜ生きるのか? 私もそう考えて悩んだことも何度もあります。こせば十代の頃,進路のことや家のことなど数々悩みを抱えていました。その時に考えたのは「今は悩みがあるかもしれないけれども,それは考えが未熟だからであって,大人になればきっと悩みもなくなるはずだ」という漠然たる期待を抱いていたのを覚えています。(その悩みが,生きている間つづくのだと悟った時の衝撃も…)

 人は必ず何事かに悩みます。それを一言に集約することは難しいですが,どんな種類の悩みも究極的には,「なぜ人は生まれ,生きるのか?」との“生存の不安”に行き着くのではないでしょうか。これは人が必ず突き当たる永遠の問いなのです。それもそのはずで,この世に生を受けたどんな人であろうとも,自らの意志によって生まれてきた人はいないのです。生命誕生の神秘は奇跡的ではありますが,一方で,それは受け身なのだとも言えるのです。オギャーと叫んだ瞬間から,自分の言葉で人生を意味づけしていく「長い旅」が始まるのだとも言えるのです。

 ふり返って高校時代に,忘れられない書物との出会いがありました。明治の時代,内村鑑三というキリスト教者にして魅力的な思想家の『後世への最大遺物』という一冊です。これは明治二七年夏,内村鑑三がキリスト教青年学校の学生に対して行った講演録で,口語体の読みやすい語りです。

〈人はいったい何のために生まれて,どのように生きるのが正しいのか?〉,そんな漠たる煩悶を抱えていた私に,内村鑑三は明瞭に,かつ力強くその意義を開示してくれました。今日は,その内村鑑三という人物が残した言葉を手がかりに,人生の意義について少し考えてみたいと思います。 

 幕末生まれの内村鑑三は高崎藩士の長男で,キリスト教入信のきっかけとなったのは札幌農学校への入学でした。その家族の死や病,失業,仲間や社会からの批判など,数々の苦難を乗り越えてきた鑑三は「人生の意義」を次のように説きます。

《私は何かこの地球にMemento(モメント) を置いて逝きたい,私がこの地球を愛した証拠を置いて逝きたい,私が同胞を愛した記念碑を置いて逝きたい。それゆえにお互いにここに生まれてきた以上は,われわれが喜ばしい国に往くかも知れませぬけれども,しかしわれわれがこの世の中にあるあいだは,少しなりともこの世の中を善くして往きたいです。この世の中にわれわれの Memento を遺して逝きたいです。》

 明治27年といえば,日本が近代国家として最初の対外戦争となった日清戦争が起こった年です。内村鑑三は,その高揚と不安の時代を生きる青年たちに対し,ゆるぎない言葉で語りかけました。生きることを自己完結的にとらえていた私には最初はピンときませんでしたが,よくよく考えれば,たしかに私の「生」は自ら意志した結果ではなく親から受け継いだ命であり,それを「後世」という次の世代への縦軸の橋渡しでもあるのだ。さらに「地球」という横軸の発想(近年,SDG‘sという地球規模の視点があたり前に浸透していますが)が大きく視野を広げてくれました。

 さらに,人が後世に遺せる遺物(レガシー)には,お金や事業そして思想(文学や教育)などがあるが,これらは誰にでも残せる訳ではない。そして,誰にでも残すことができる最大にして最高の遺物=〈人生の最高価値〉が何なのかを説きます。

《それならば最大遺物とはなんであるか。私が考えてみますに人間が後世に遺すことのできる,ソウしてこれは誰にも遺すことのできるところの遺物で,利益ばかりあって害のない遺物がある。それは何であるかならば勇ましい高尚なる生涯であると思います。》

《しかして高尚なる勇ましい生涯とは何であるかというと,(中略)失望の世の中にあらずして,希望の世の中であることを信ずることである。この世の中は悲嘆の世の中でなくして,歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して,その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります。その遺物は誰にも遺すことのできる遺物ではないかと思う。》と説き,「他の人の行くことを嫌うところへ行け 他の人の嫌がることをなせ」といった格言とともに,歴史人物のエピソードを紹介します。

 もちろん,これらの言葉はキリスト教信仰に深く根ざしています。私自身はキリスト教者でもなく,ごく一般の世俗的な高校生でしたが,そんな私にとっても,

《後世の人にこれぞというて覚えられるべきものはなにもなくとも,あの人はこの世の中に生きているあいだは,真面目なる生涯を送った人であるといわれるだけのことを後世の人に遺したい。》 という

独自の信仰世界を開いた思想家・内村鑑三の純粋なゆるぎない言葉は,“生きる意味”の何かを開示してくれた書物となったのでした。

 皆さんには今日の話をひとつのヒントに,自分自身の言葉で「なぜ生きるのか」についての答えを自ら紡ぎ出し,これからの長い人生の旅に立ち向かっていってもらいたいと心から願い,修業式にあたっての講話と致します。

 

【参考文献】

  内村鑑三 『後世への最大遺物・デンマルク国の話』(岩波文庫)

  若松英輔 『内村鑑三をよむ』(岩波ブックレット №845)

令和4年度卒業式 式 辞

 今年の冬は例年に比して雪の少ない冬とはいえ,心身を凍てつく厳しい寒さも,ようやく和らいだかに感じられる季節となりました。ここ色麻にも日を追うごとに春の芽吹きを感じる弥生の節目を迎え,はるか船形の残雪や,校地の木々にも確実に春光の柔らかな日差しが差し込んでくるのが実感されます。このような佳き日に,これまで地域で見守り寄り添ってくださった多数のご来賓の皆様,並びに本校教育活動にご支援をいただいた保護者の皆様方が一堂に会し,令和4年度卒業式をかくも盛大に挙行できますことは,卒業生はもとより在校生,教職員にとりましてもこの上ない慶びでございます。

 ただ今,高等学校三カ年の課程を修了し,卒業証書を授与しました農業科22名,農業機械科29名,生活技術科16名の卒業生の皆さん,ご卒業おめでとう。教職員一同,卒業生の門出を心より祝福いたします。とともに,本日 手にした卒業証書は,校訓「耕心」のもと,本校の全教育課程を修めた証しであります。それは自身の努力もさる  ことながら,すぐそばで支え励ましてくれた仲間,恩師,ご家族,地域の皆様方の深い愛情と温かい支えによってもたらされた共同の結晶でもあります。その達成と感謝を胸に刻みつつ,一生涯の誇りとして忘れずにいてください。

 3年前の入学式,大きな期待と不安に胸を膨らませてはじまった加美農での生活も今日で最後となります。今,皆 さんが高校生活を振り返ったとき,それは何色の思い出として映るのでしょう。皆さんの脳裏に去来する思い出には,実に多くの色があったろうと推察します。本校の自然豊かな農場での部門実習や,耕心寮での入寮生活,先輩や後輩との居室生活など,普通高校では決して味わうことのできない教育体験を積み重ねてきました。そこでは,自然生命の尊さと愛おしさはもとより,寮生活の規律の中で仲間たちと生活をする喜びなど,学校教育の基本となる共同的な価値を体得してきたものと思います。自然に抱かれ,仲間に支えられ,地域に見守られている,そのことを実感することができたのは,本校創立以来の伝統の力であり,それを正統に受け継いだ加美農生の皆さんの頑張りの賜物であることに違いありません。

 今年度の出来事で特筆すべきは,中断していた学校行事が再開されたことです。5月全校田植え,10月加美農祭一般公開,収穫感謝の会。そして11月には韓国水原農生命科学高校との親善交流がリモートで再開にこぎつけることができました。

 また,農業クラブや家庭クラブの成果と致しましては,まず農業クラブ各種大会での活躍が挙げられます。高い技能が求められる平板測量競技会では県大会二連覇を達成し,全国大会出場を果たし,見事,優秀賞に輝きました。家庭クラブ活動も,長年の交通安全啓発に対し加美警察署から感謝状が贈呈され,先の宮城県高校生地産地消お弁当コンテストにおいては,大崎耕土にちなんだ本校考案メニューが,優秀賞及びWEB投票特別賞に選出され,イオン系列で一般販売されたことがマスコミでも取り上げられました。さらには,5年に一度の大会で全国和牛共進会予選会への出場,年明けには念願であった「ASIAGAP」の認証という吉報を受けました。これは県内では2校目,穀物部門では県内初となります。

 こうした本校の取組に対し,今年度キャリア教育優良校として文部科学大臣表彰の栄誉を受けることができました。受賞の理由となったのは,本校の実践が地域協働において《継続》して行われたこと,その上で《高校生の力》が存分に発揮されたことが大きく評価されました。改めて,本校生のひたむきな姿勢に敬意を表したいと思います。

 さて,予期せぬ災厄が出現して,はや3年の月日が流れました。皆さんの高校生活は,この未知のウィルス拡大の時期と重なり,学校生活や寮生活がこれまでにないほどの制約を受けました。このような桎梏からいつになれば解放されるのか。先の見えないもどかしい葛藤が,全国,全世界の人々の声なき声としてありました。そうした日常に,変化の兆しが少し見え始めてきている昨今ではありますが,こうした不条理が,人生の場面において不意に出現することは,人知を超えて今後もあり得るのです。だからこそ,人々は立場を越えて団結し,人類史上記憶されるこの苦境の意味を忘れずにいなければなりません。人類はこうした不測の経験をバネに,共通の価値を創造し,困難を乗り越えてきたのです。これから私たちはどんな未来を築いていくのか。それこそが世界の課題であり,次代を担う皆さんに課せられた使命でもあります。皆さんの果敢な勇気と行動力によって,この不透明な逆境を打開し,人々の心に希望の火を灯していくこと。そのことを切に願ってやみません。

 今皆さんの手には,自身の人生を何色にも染めうる自由意思が与えられています。義務教育九年,高等学校三年の学習を土台に,自らの人生に思い思いの色を描いていってほしいと思います。

 遠く未来を見渡せば,情報技術革新がさらに進展し,人口知能が社会の先端を行こうとも,それは生活の利便性となっても,生存の安寧はもたらさないことを,私たちは本能的に理解しています。なぜなら,人間の命は,食べ物や自然環境という基本要件を抜きにつなぐことは不可能だからです。これからも,農業が人間生活の根幹を支える営みであることに変わりはありません。近い将来,世界規模で,農業を中心とした政策転換がなされる日がやってくるかもしれません。その時こそ,農業への見識を有する皆さんの真の出番なのです。

 高等学校での学習は本日でひと区切りとなりますが,それは学びの完結ではありません。皆さんはそれぞれの道において,新たな課題と向き合い,社会というより広いフィールドにおいて,生涯にわたって学び深めていくことになります。それは自己実現を果たすという目的だけではなく,よりよい世界,すなわち“平和”を希求する共通の願いに連なるのだ,と私は信じています。

 昨今,人生100年時代が叫ばれています。だとすれば,高校三年の皆さんは今後約80年のというスパンで,この世を生きます。100年という時間を一日の時間時計に置き換えてみると,18歳はおおよそ午前4時半にあたります。すなわち,日が昇る前のまだ薄暗い,夜明けの前に皆さんは立っているのです。これからが夜明けであり,本当の自分の旅がはじまるのです。

 そんな皆さんに,最後のメッセージです。それは,「物事の本質をつかむ」という姿勢です。難しいことではありません。古今東西の常として,私たち世俗には,時に虚偽がまかり通ることがあります。そうした時こそ,大地とともに学習を積み重ねてきた見識がものを言うのです。自然はまっすぐに人の心を映し出します。そのことを体感している加美農生だからこそ,混沌とした世の中にあって,謙虚に物事の本質を見極める人材として羽ばたいてもらいたいし,そこでこそ本校で修めた学習価値が輝くのです。

 これからの行く手にどんなに荒波が待ち受けようとも,校訓であり寮是にも掲げる「耕心」の精神,「よく土を耕そうと志す者はまず心を耕さなければならない」という志を実践し,自分たちの未来地図を,力強く,そしてしなやかに彩っていくことを願ってやみません。

 

癸卯を迎えて“和”を思うー令和5年の感慨

 新年おめでとうございます。皆さんは2023年の新春をどのような思いで迎えたでしょうか。今年の干支は癸卯(みずのとう)です。うさぎは古くから月との縁も深く“つき”を呼ぶ縁起のいい動物といわれます。そんな幸運な一年になることを真に念願したいです。

 さて,今日は「和」をめぐる話をします。新年を迎えるにあたり「和」という言葉に思いを馳せました。2022年を表す漢字が「戦」だったからでもあります。

 繰り返しにはなりますが,今こうして当たり前の日常が送れているという事は,実は奇跡的な幸運だというのが世界の現実だということです。そのことを皆さんも体験的に身にしみて実感するはずです。世界を見渡せば地球温暖化や気候変動,食糧問題,自然災害,ウクライナの戦争,コロナパンデミックなど,予想を超えた多くの事態に直面しています。このことに無関心ではいられません。なぜなら,自分たちだけが危険から守られ,安全に生き延びるということは到底あり得ないことをよく知ったからです。和―調和や安全とは,他者や他国とのバランスの中で保たれる状態であり,相互の努力によってもたらされるものです。

 今ここに掲げた「和」とは,全体の調和であり世界の平和でもあります。さらに和には和服,和食など日本の独自性の意味も込められています。2023年はそれぞれ個性を発揮しながら,調和と平和を大切にしていきたいと願います。しかしそれらは誰かが授けてくれるギフトではありません。私たちの強固な意志と不断の努力によってしか実現し得ない高い理想です。そのことにぜひ心を寄せて,未来を描いてください。

 最後に,「和」に関わる2つの格言を紹介します。1つは「和をもって貴しとなす」いさかいなく仲良くするということが貴し。貴しとは最良の価値であるという意味です。論語や聖徳太子の宣言にもある社会の理想で,皆さんも聞いた事があるかと思います。

 もう1つは「和して同ぜず」というこれも古代中国の格言です。君子は周囲と仲良くすることを大切にするけれども同ぜず。安易に同調しないという強固な態度です。皆が言うから私も賛同するというのは,周囲に流され主体的ではありません。全体の和を尊重しつつも,自分自身の考えや判断をしっかりと持つべきだという格言です。

 今年度もあと数ヶ月となりました。3年生は高校生活のしめくくりでもありますので,新しい年にあたり「和」の精神とともに,それぞれにまだ眠っている可能性を自ら育て上げてください。そしてそのためにやるべき事とは,毎日の授業そして目の前の生活を誠実にこなしていく地道でひたむきな努力です。近道はありません。皆さんの大きな夢が毎日の積み重ねで花開いていく事を心から祈念し,休み明けの講話といたします。